別子銅山…ご存知です?
1690年に(今で言う 新居浜)の山麓で発見された「銅」の鉱脈。
閉山する1973年までの約282年間、約70万トンの「銅」を生産してきました。
一貫して住友家が経営し、今の「住友」の基礎を築いたとも言えます。
経営は一貫して住友家が担い、「住友別子銅山」って言われてましたね。
新居浜は、別子銅山から始まり、住友化学、重機、共電…住友関係の会社が次々に生まれました。
愛媛県新居浜市が「住友の城下町」と言われる由縁です。
そうそう、新居浜市には「大丸」もあったんですよ。
新居浜大丸とか別子大丸って言われてましたね~2001年に閉店しましたが。
エスカレーターが有ったんですよ(゜o゜;
今は特になんとも思わないけど、当時は「すげー」って思いましたね。
子供の頃の話ですが、「ちょっといい服を着て出かける。」そんな感じでしたw
■汽車道(きしゃみち)
でね?
私が幼い頃、「汽車道」(きしゃみち)って呼ばれる鉄道の道(日本語が変?w)があって。
別子銅山で掘られた「鉱石」を、星越の鉱選場に送るための専用電車が走ってたんです。
※今で言う「別子銅山鉄道」ですね。
あれ?確か電化されてたよなぁ。(50年近く前の記憶ですw)
横から見ると凸型の機動車で、凸の上にひし形のパンタグラフが有ったような記憶が…
で、その後ろに鉱石を積んだ「鉱石運搬車」が何十両もつながってたなぁ…
結構近くに住んでいたので、時々通る専用電車をみたり、線路に耳をつけてガタンガトン音を聴いたり。
もちろん踏切やフェンスなどはなく、だれでも線路内に入れたんですね。
今思うと、結構怖い遊びをしてたんですね(汗)
ちなみに今は、線路も撤去されていて、一部遊歩道になっています。
■星越駅(ほしごええき)
別子銅山鉄道で、ゆいつ残っている駅舎が「星越駅駅舎」です。
大正14年に作られた駅で、別子銅山鉄道の下部線の拠点として作られたそうです。
ちなみに上部の拠点は「東平(とうなる)」かな?
東洋のマチュピチュとか言われている、銅山観光の目玉的場所ですね。
道の駅「マイントピア別子」から、観光用のバスで行くらしいです。
ちなみに、マイントピア別子には日帰り温泉も有り、坑道体験?歴史とかも学べるそうです。
私は温泉しか利用したことがなく、時間を作って行ってみたいですね。
客車は随分昔に廃止された思うけど、できた当時は通勤でも使われたらしく。
大変な賑わいだったようです。
今は線路もなく、汽車道(きしゃみち)も名前は残ってますが、一部は「遊歩道」になってます。
■星越選鉱場跡
すでに建物は解体されているようですが、写真の左に見える山の斜面に「選鉱場」が有ったようです。
今は立入禁止なのかな?
できれば中に入って見学したかったけど、入れるかどうかは分かりません。
近くに「日暮別邸記念館」があるらしく、展望台もあるようなので、ぜひ行ってみたいですね。
※住友家15代当主住友友純氏の別邸らしく、大変有名な建物…らしいですw
■コスモス畑
星越駅の反対側、広大な敷地にコスモスが!
昔ここに社宅が並んでたらしいけど、現在はコスモス畑として皆の目を楽しませてくれています。
できれば建物の中が見たかったのですが、チェーンが張られていて近づけず。
残念ではありますが、わが町新居浜の歴史のほんの一部ですがが観れてよかったです。
■まとめ
- 別子銅山の名残、別子銅山鉄道の下部拠点の「星越駅」駅舎をみてきました。
- 別子銅山は1973年に282年の歴史に幕を引きました。
- いまでも数多くの産業遺産を残しています。
- 星越駅駅舎もその一つで、別子銅山の産業遺産として、今も残されています。
私は(地元とは言え)歴史に詳しくなくて。
じつはこの日も西条市のドンキホーテに行く途中に、ちょっと車を止めて立ち寄りました。
別子銅山鉄道…汽車道…そう言えば、遊んだなぁ~
汽車道で遊んだ頃の記憶が、蘇るようでした。
自分が生まれ育った街、もっと歴史に触れたいですね。
ということで、「星越駅駅舎」を見てきたっていうお話でした。
※参考記事リンク
別子銅山の産業遺産「日暮別邸記念館」とその周辺を散策してきました。
この記事が、皆様のお役に立てば幸いです。
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